坂本龍馬と脱藩 坂本龍馬

坂本龍馬と脱藩
坂本龍馬が生きていた時代である江戸時代では、藩を出る時に藩の許可を得なくてはならないと言う規則があったそうで、藩を出る時に関所を通るのですが、ここで藩の許可を得たと言う手形を見せなくては通れなかった様です。

しかし坂本龍馬が行ったのは「脱藩」と言い、これは藩に無許可で藩を出てしまう事で、今で言うとパスポートを持っていないのに日本を出てしまうと言う事と考えて良いと思います。

坂本龍馬が脱藩したのは1862年3月、龍馬が28歳の時で、長州藩から薩摩に行こうとしていたと言われているのですが、本当のところは定かではありません。

脱藩した年の秋には、龍馬は江戸に行き勝海舟と言う幕府付けの軍艦奉行並に弟子入りしました。この時のいきさつは色々な説がある様ですが、勝海舟が残した『氷川清話』と言う資料には「坂本龍馬は自分を殺しに来た」と言う様に書いてあります。しかし元福井藩主だった松平春嶽が残した回顧録には、「松平春嶽が勝海舟へ坂本龍馬を紹介する為の紹介状を書いた」と言う事になっているみたいで、これをみると坂本龍馬が勝海舟を殺そうとしていたとは全然思えないと言う事になります。

坂本龍馬は勝海舟の為に一心に働いたと言われていて、勝海舟が幕府から命ぜられた仕事の一環として建設された海軍操練所、それに併設された私塾に入門し、勉強しながら勝海舟の片腕として働いていた様です。

その後、勝海舟の使者として西郷隆盛と対面した龍馬は運命的な出会いをしたと言えるでしょう。


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