坂本龍馬と大政奉還 坂本龍馬

坂本龍馬と大政奉還
龍馬の活躍は物凄くて1866年7月、龍馬が設立した亀山社中は第二次長州征伐が起こった為、長州藩を助けようとしてユニオン号で参戦したと言われています。

また、北海道の蝦夷・島根県の竹島等の開拓をしたり、薩摩藩と長州藩の商社を設立させようと画策したりして政治だけでなく経済としての素質も遺憾なく発揮していた様です。

そんな目覚ましい活躍をしている坂本龍馬に白羽の矢を立てたのが「土佐藩」でした。土佐藩は薩摩や長州に遅れを取っていた為に、坂本龍馬に協力してもらおうと、当時土佐藩で実験を持っていた後藤象二郎が坂本龍馬と会談しました。この会談で討幕を考えていた坂本龍馬は土佐藩を利用できるのではないかと考え土佐藩と組む事を決めました。龍馬が土佐藩になった事から、龍馬が作った組織「亀山社中」は「海援隊」へと名前を変え土佐藩の組織として活動する事になった様です。もちろん龍馬は海援隊の隊長として就任する事になりました。

その頃、薩摩藩と長州藩は武力で討幕をしようと考えていましたが、土佐藩はこれを避けたいと思い龍馬と策を練っていました。龍馬は土佐藩の船の中で「大政奉還」になる策を後藤に提案したと言います。この策が8つあることから「船中八策」と言う様に呼ばれています。この船中八策を後藤から、土佐藩主山内容堂を介し当時の将軍徳川慶喜に建白をして、受け入れられた事により政権が朝廷に奉還したと言うのが大政奉還の流れになります。


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