坂本龍馬と勝海舟 坂本龍馬

坂本龍馬と勝海舟
坂本龍馬と言ったら切っても切り離せない存在なのが「勝海舟(かつかいしゅう)」ではないでしょうか。

坂本龍馬と勝海舟に最も関係しているのが、勝海舟が創設した「神戸海軍塾」と言う所でした。元は神戸海軍操練所と言う政府の幕臣達が勉強をする場所として創設したのですが、勝海舟はそれだけではなく、諸藩の物達も集めて勉強が出来る「神戸海軍塾」をも創設したのです。
坂本龍馬はその「神戸海軍塾」の塾頭と言う立場にいた様です。

坂本龍馬は勝海舟の最愛の愛弟子となっていた様で、勝海舟の為に色々行動をしていたと言われています。勝海舟はその身分から自由に行動できないでいた様ですが、その勝海舟の想いに対して手足となって動いたのが坂本龍馬です。例えば神戸海軍塾の設立をするにあたって資金の調達が必要になります。そこで坂本龍馬が越前福井藩主松平春嶽を訪ね、資金調達のお願いにあたるなどして動いていた様です。

坂本龍馬は勝海舟をとても慕っていた様で、故郷の姉に充てた手紙に再三その喜びの気持ちを書いていたと言います。

坂本龍馬が後に行った開国主義と言う考えも、薩長土同盟と言う考えも全て勝海舟の理想から影響を受けたものだった様です。ですから坂本龍馬が成し得た薩長同盟と言う快挙も、勝海舟が坂本龍馬を西郷隆盛に紹介した事がきっかけとなって成功したと言われています。

坂本龍馬と勝海舟と西郷隆盛、この3人の関係性が幕末の歴史を大きく動かしたと言っても過言ではないかもしれません。


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