坂本龍馬の妻「おりょう」 坂本龍馬

坂本龍馬の妻「おりょう」
坂本龍馬には「おりょう」と言う妻がいた事をご存知の方も多いと思いますが、今はそのおりょうさんは横須賀市大津にある信楽寺(しんぎょうじ)と言う所に埋葬されています。信楽寺の本堂に祀られているおりょうさんの位牌の所には、坂本龍馬の写真とおりょうさんの写真が寄り添う様にして置かれています。

坂本龍馬の妻、おりょうは京都の町医者である樽崎将作と言う人の長女として産まれました。産まれた日については色々言われている様ですが、嘉永三年6月6日ではないかと言われています。おりょうは寺田屋騒動で夫である坂本龍馬が深手を負った時に献身的に尽したと言う事で有名な女性です。この時に療養として行った霧島への旅が日本で初めての「新婚旅行」で有ったと言う事はあまりにも有名な話です。しかしその夫坂本龍馬は京都の近江屋で何者かの乱入によって斬り付けられ、33歳と言う若さで惨殺されてしまい、おりょうは未亡人となってしまいます。夫婦生活はたった1年10カ月と言う短い物だったそうです。

その後、坂本龍馬の実家である土佐の家に住みましたが上手くいかず、その後は京都、大阪、東京と言う様に転々とした日々を送る流浪生活を送っていたそうです。その時の状況を把握できる物は殆ど残されてはいないみたいなので定かではないのですが、とても波乱万丈な人生であったのではないかと思います。

その後、おりょうさんは西村松兵衛方と言う所に「西村ツル」と言う名前で結婚をして、明治39年に亡くなったそうです。


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